日本の寄付の今 そしてこれから
② 制度の中に生まれた亀裂
本シリーズの初回では、日本のフィランソロピー分野がなぜこれまで小規模で、構造的に制約され続けてきたのかを取り上げました。こうした壁はたしかに存在しますが、もはや動かしがたいものではなくなりつつあります。今、何かが変わり始めています。
「雪解け」と呼ぶべきか、それとも「静かな再編成」と言うべきか──。ここ数年、日本のソーシャルインパクトの追求方法に新たな担い手、資金モデル、そして「寄付」の哲学が登場し、これまでにない変化が起きています。眠っていた休眠預金が、非営利団体やソーシャル企業の資本として活用され始めました。インパクト投資市場も、驚くべきスピードで拡大しています。企業経営者たちは、社会における自社の役割を見直しはじめています。そしていま初めて、「戦略」と「目的」をもった寄付をサポートするフィランソロピー・アドバイザーの新たな世代が台頭してきました。
これらの動きがひとつの流れとして定着すれば、日本のソーシャルセクターは本格的なイノベーションの時期を迎える可能性があります。今後の展開が注目されます。
休眠預金が「活きた資本」に
日本のフィランソロピー分野で起きている最も注目すべき変化のひとつは、意外なところから始まりました。使われずに眠っていた銀行預金です。
2019年から、政府主導の「休眠預金等活用制度」が始まり、10年以上動きのなかった預金が、社会課題に取り組む非営利団体の活動資金として活用されるようになりました。2024年4月時点で、すでに1,170団体がこの制度を通じて、総額290億円(約1億9,300万米ドル)の助成を受けています。(61)
当初は、こうした資金は従来型の助成金として使用されるケースがほとんどでした。しかし最近では、休眠預金を「投資」として活用する新たな動きが始まっています。まだ民間資金を得ることが難しい、創業初期のソーシャルビジネスに向けた投資型スキームがスタートしたのです。
「2024年度からは、初期段階で十分な民間資金が得られていないソーシャルビジネスを実施するソーシャル企業等への投資型スキームが、新たに開始された」(61)
この取り組みは、資金の性格そのものを大きく転換させるものです。つまり、公的な資金を「一度きりの支援」として捉えるのではなく、スケーラブルで社会的使命をもった取り組みを加速させる「触媒」として位置づけているのです。これは、インパクト投資における基本理念のひとつでもあります。
インパクト投資の急成長
かつては一部の関係者だけに知られたニッチな概念とみなされていたインパクト投資が、近年、日本で予想以上のスピードで広がりを見せています。
2023年度には、日本国内のインパクト投資残高が11.5兆円(約769億米ドル)に達し、前年比で倍増しました。2016年と比べると、実に300倍以上の規模となっています。
「インパクト投資市場も急拡大しており、休眠預金を活用した投資も開始されている」(69)
こうした急成長の背景には、官民双方の連携があります。国内の市場形成においては、GSG Impact JAPAN National Partnerが中心的な役割を果たしており、これに加えて、複数の金融機関が主導する「インパクト志向金融宣言(Japan Impact-driven Financing Initiative)」が、知見の共有や実践例の蓄積を進める重要なプラットフォームとなっています。
さらに政府も民間の動きを後押ししています。「新しい資本主義」の柱のひとつとして、インパクト投資の推進を位置づけており、金融庁は『インパクト投資(インパクトファイナンス)に関する基本的指針』を公表し、インパクト投資の基本原則を明示しました。また、東京都も官民連携の「インパクト成長ファンド」を立ち上げ、社会的価値と経済的リターンの両立を目指す取り組みを展開しています。
インパクト投資の市場としては、欧米に比べてまだ発展途上であるとはいえ、日本でも着実に専門性が高まりつつあります。特に重要なのは、社会課題の解決に関わるプレイヤーの裾野が広がっていることです。非営利団体に限らず、スタートアップ、企業、自治体など多様な主体がこの分野に参入し始めています。
2024年には、最新の調査結果として、インパクト投資残高が17兆3,016億円に達したことが報告されました。
下記のグラフは、GSG Impact JAPAN National Partnerによる年次報告に基づき、年度ごとの集計方法の違いはあるものの、インパクト投資市場の全体的な成長傾向を視覚的に示したものです。
共助資本主義の実践
こうした変化の中心には、日本のビジネス界における意識の転換があります。
経済同友会の提唱する「共助資本主義」は、企業が非営利団体やソーシャル・エンタープライズとより直接的に連携することを促す運動です。フィランソロピー(社会貢献)を「本業とは別の活動」と捉えるのではなく、社会への関与を中長期的な価値創出の一環として位置づけようという考え方です。
「共助資本主義とは、企業が『アニマルスピリッツ』を生かしながら、社会的な便益をもたらす目的を追求しつつ、ソーシャルセクターと連携する取り組みを指す」(39)
この理念に基づいて、具体的な官民・セクター横断型の連携がいくつも始まっています。
- クロスセクター・ボード・イニシアティブ:大手企業の経営幹部が非営利団体の理事に就任し、相互理解とガバナンス能力を強化。
- ソーシャル・ウェンズデー:株式会社アクティボやキッズドアなどの企業が、水曜日に社員が地域のボランティア活動に参加することを推奨。
- 企業版ふるさと納税:企業がふるさと納税の仕組みを活用し、非営利団体主導の地域づくりを支援。
こうした取り組みは単なる象徴的な協力ではありません。企業の社会的役割の捉え方そのものを変え、「支援者」から「共創者」へと進化させつつあります。
ふるさと納税 抜け道から社会的インパクトのレバーへ?
第1回のブログでは、「ふるさと納税」制度について取り上げました。これは納税者が、自らの納税額の一部を特定の自治体に寄付できる仕組みで、返礼品と引き換えに行われることが多く、非常に人気があります。一方で、寄付行動をゆがめ、非営利団体への直接的な寄付を減少させるとの批判もありました。
しかし、ここにも変化の兆しが見られます。
一部の自治体では、ふるさと納税をより明確に社会的インパクトに結びつけるような工夫が始まっています。たとえば東京都渋谷区では、認定NPO法人を寄付先として指定でき、寄付額の86%がその団体に直接届く仕組みを採用しています。また福岡市では、ソーシャル・スタートアップの支援に特化したふるさと納税制度を立ち上げました。
「一部の自治体では、ふるさと納税をNPOやソーシャル・エンタープライズの支援に活用し始めている」(30)
これらはまだ実験的な取り組みですが、既存の税制度を社会的インパクト重視の目的に沿って再設計しようとする創造的な動きとして注目に値します。
フィランソロピー・アドバイザー 失われていた「つなぎ役」の台頭
日本のフィランソロピー・エコシステムが成熟するためには、特に富裕層(HNWIs)を中心とする寄付者に対する支援が不可欠です。ところが、そうした支援はこれまでほとんど存在していませんでした。
アメリカでは、フィランソロピー・アドバイザー(寄付アドバイザー)は認定を受けた専門職であり、家族や団体が戦略的な寄付を実践するためのサポートを行います。日本でも近年、いくつかの専門サービスが登場していますが、寄付者を導く正式な制度や支援体制は長らく不在でした。その結果、「寄付をしたい」という強い意思があっても、法的・財務的・組織的なハードルに阻まれてしまうケースが多くあります。
しかし、ここにも新たな動きが生まれています。
「フィランソロピー分野における専門性の高い人材が増えていくことで、富裕層からの寄付が増加する可能性がある」(34)
たとえば日本フィランソロピック財団では、「ドナーデザイン型基金」という仕組みを実験的に展開しています。これは、信頼できる中間支援組織と連携しながら、自分の関心テーマに沿って柔軟に支援先を選べる仕組みです。また、米国のフィランソロピー専門資格「CAP(Chartered Advisor in Philanthropy)」に相当する日本版の資格制度創設に向けた議論も始まっています。これらの取り組みが成功すれば、日本国内に眠る個人資産が、より公共的な目的のために活用される可能性が広がります。
変わりゆく意識と新たな担い手たち
こうした変化の多くを牽引しているのは、「フィランソロピーを慈善活動ではなく、戦略的行動」と捉える若い世代の創設者や寄付者たちです。
スタートアップで成功を収めた起業家たちが、柔軟性があり、インパクト志向かつ成果重視の財団を設立する動きが見られます。たとえば、非営利スタートアップにシード資金を提供するSoil Foundationや、信託ベースのフィランソロピーを掲げ、子どもや家族を支援するFamilyAlbum Foundationなどがその例です。
このような新興プレイヤーたちは、「ソーシャル・イノベーション」「システムチェンジ(制度変革)」「共創」といった革新の言葉を携えて、日本が直面する喫緊の課題──少子高齢化、格差、気候変動など──に対して、真正面から取り組もうとしています。
トレンドから転換期へ?
こうした一つひとつの動きだけで、社会セクター全体を変革できるわけではありません。けれども、それらが積み重なっていくことで、新しい構造の「骨組み」が少しずつ現れてきています。
日本のソーシャルセクターはこれまで、法制度・文化・資金の面で多くの制約を受けながら運営されてきました。しかし今、数十年ぶりに、政策・資金・リーダーシップ・市民の関心といった複数の要素が交差し、「変化のための余地」が生まれつつあります。
報告書にはこうあります。
「日本の社会セクターは、将来的な大きな成長に向けた重要な転換点に立っており、インパクト重視の社会的環境がその成長を後押ししている」(4)
次回の第3回のブログでは、今後起こりうる変化について掘り下げていきます。公益信託法の改革、ドナーアドバイズドファンドの導入、日米間の協働による変革の加速、そして米日財団のような財団が果たしうる役割とは。
亀裂が入り始めた今こそ、その先の進み方が未来を決めるのです。
日本の寄付の今 そしてこれから
- シリーズ紹介
- ① 法律上だけではない資格の問題
- ② 制度の中に生まれた亀裂
- ③ 日本のフィランソロピーが向かう先 | 近日公開予定