助成先 | U.S.-Japan Feminist Art Network (2025年1月受賞)
プロジェクト | 現代フェミニズム美術:日米の研究者とアーティストによる対話
翻訳は至るところにありました。日本語と英語の間を行き来する通訳の動き、言語の壁を越えるように工夫された質問の言い回し、そしてそれ以上に繊細で広がりのある異文化間の翻訳という営み。経験やアイデンティティ、政治的な思いを、その違いを損なうことなく共有できるかたちへと訳し直していく作業です。
東京藝術大学の会場は満員でした。もともとの企画「現代フェミニズム美術:日米の研究者とアーティストによる対話」は、大きな成功を収めたシンポジウムへと発展していました。アーティスト、研究者、学生、活動家、そして一般の来場者が熱心に耳を傾け、その中にはフェミニストやクィアのアートや実践について公の場で語られるのを初めて聞く人もいました。その場で起きていたのは単なる情報交換ではありません。互いを認識し合う瞬間でもあったのです。アート弁護士であり美術史研究者でもある塩野入弥生氏(USJLP 2010, 2011)は、本プロジェクトの中心的な主催者の一人であり、「コミュニティ同士の連帯感です」と語ります。共同主催者は、アクティビストでグラフィックデザイナーの宮越里子氏、美術史研究者の井上絵美子氏です。ゲストスピーカーには、シャロン・ヘイズ氏、遠藤麻衣氏、近藤銀河氏、嶋田美子氏、スカウェナティ氏、碓井ゆい氏らが登壇しました。
こうした連帯感は、国境、世代、分野を越えた対話を持続させるためのコミュニティネットワークが公に立ち上がる瞬間を象徴しています。米日財団の支援のもと、このプロジェクトは、日本と米国のフェミニスト・アーティストや研究者たちが、表象、権力、社会的責任といった共通の問いにそれぞれ取り組みながらも、互いに直接出会う機会を必ずしも持てていなかったという問題意識から生まれたものでした。(写真提供:Hanae Takahashi)
フェミニズムと名乗ることの難しさ
日本では、フェミニズムやジェンダー平等を公に掲げることはいまだに難しく感じられる場合があります。塩野入氏はこう話します。「日本では、自分をフェミニストだと名乗ると、怒っている人、扱いにくい人、場の空気を乱す人と受け取られてしまうことがよくあります。」さらに、特に若いアーティストや一般の若い人々の多くがフェミニズムの理念に深く共感していたとしても、「社会の調和を乱す存在だと思われたくないため、そのように名乗ることをためらってしまうこともあるんです」と続けます。

碓井ゆい 要求と抵抗 (2019年)
素材:布、糸、ハンガー、布へのスクリーンプリント、積み木、写真、レンガ
しかし、創造的な表現は別の道を開きます。現代アート、パフォーマンス、文章表現、そしてアートをソーシャルな実践の一形態として用いることで、ジェンダー、アイデンティティ、正義といった問いを、直接的な宣言を求めるのではなく、思考を促す形で提示することができるのです。塩野入氏は「芸術や視覚文化は、フェミニズムのアイデンティティや実践をより広く認識してもらうための方法や戦略になり得ると思うんです」と話します。
塩野入氏はさらに、日米双方の参加者の共感を呼んだ具体的な例を紹介します。「日本では、ファッションを通してフェミニズムの理念への共感を示す人もいます。例えば、パッチやスローガン入りの服などです。必要なときには外すこともできますが、それでも意味があります。それは自分自身に対する宣言でもあるのです。」自己表明が難しく感じられる場において、このような表現は、自分の立場を示し関わるための柔軟で個人的な方法となり得ることを、米国からの参加者たちも学びました。
平等を語るアートという言語
このシンポジウムは、まさにこうした関わり方のための場をつくることを目的として企画されました。アートをソーシャルな実践として一つの定義に当てはめるのではなく、日本、米国、そしてその他の地域からアーティストや研究者が集まり、それぞれの立場から語る機会を設けました。世代や国境を越えた対話のなかで、参加者の中には、自分の作品が本当に効果を持っているのか、あるいは届けたいと思っている人々に届いているのかといった不確かさについて率直に語る人もいました。
塩野入氏は、そのような不確かさこそが、むしろ議論の強みの一つになったと考えています。「シンポジウムの中で多く語られたのは、『失敗』という考え方でした」と話します。「失敗してもいい、何度失敗してもいい。それでも挑戦し続けることが大切なのです。」シンポジウムとコミュニティネットワークは、こうした問いに明確な答えを出すものではありませんでした。しかし、それらの問いを正当なものとして共有し、参加者それぞれが直面している社会的、文化的、政治的な課題を見つめながら、それに向き合うさまざまな方法を率直に、そして共に考える機会を生み出したのです。(写真提供:Hanae Takahashi)
コミュニティからシンポジウムへ
このプロジェクトとコミュニティネットワークの始まりは、コロナ初期の頃にさかのぼります。当時、塩野入氏は日本や海外のフェミニスト・アーティストや研究者たちとのコミュニティの中で活動していました。「パンデミックの間、私はボランティアの勉強会のような読書グループに参加していました。そこでは日本や海外のフェミニストの活動家やアーティストが集まっていました」と塩野入氏は振り返ります。「みんなで課題を決め、日本語と英語で同じテキストを読み、議論を重ねました。それがネットワークの本当の始まりでした。」今回のシンポジウムは、少なくとも現時点では、その取り組みの一つの大きな到達点となりました。
当初から、主催者たちはアクセシビリティを重視していました。イベントは参加費無料で一般公開され、日本語と英語の完全なバイリンガル形式で実施されました。また、現代アートの専門用語に精通した通訳者もサポート。さらに、主催者や登壇者に加え、飯山由貴氏、小宮りさ麻吏奈氏、小田原のどか氏などの寄稿による冊子が制作され、来場者に無料で配布されました。こうした共通の言語を育てようとする取り組みには、フェミニズムの対話が学術界やアクティビズムの既存のコミュニティに限られるべきではなく、より開かれたものであるべきだという考えがあります。すでにその分野に関わっている人だけでなく、好奇心から訪れる人々も迎え入れることができる、柔軟で開かれた場であることが大切だと考えられているのです。
パートナーシップと支援
この構想を形にしていくうえでの塩野入氏の役割は、彼女自身のこれまでの歩みとも深く関わっています。美術史と法学を学び、非営利、アート、法務といった複数の分野を横断して活動してきた塩野入氏は、異なる分野の間でアイデアがどのように行き来するのかに目を配りながら、人と人、組織と組織をつなぐ役割を果たしてきました。その中で重要な役割の一つが、資金や支援を募ることでした。
その大きな支えとなったのが米日財団です。塩野入氏は2010年に米日財団の日米リーダーシップ・プログラム(USJLP)のデリゲートとして参加し、その後もフェローとして活動を続けています。「米日財団の支援は本当に重要でした」と塩野入氏は話します。「米日財団からの助成があったことで、他の機関もこの取り組みに参加しやすくなったと思います。東京藝術大学や、日本側の非営利パートナーである、アーティストの増田セバスチャン氏が率いるHELI(X)UMなど、多くの協力を得ることにつながりました。」米日財団の資金的支援は、渡航や企画運営の調整を可能にしただけでなく、このプロジェクトに対する制度的な信頼を示すものでもありました。「米日財団の支援がなければ、この取り組みは実現しなかったと思います」と塩野入氏は語ります。
国境を越えた交流を持続させること
このシンポジウムは当初から、今後の取り組みを生み出すきっかけとなることを目指して構想されていました。参加者の間ではすでに、共著論文の執筆、新たな集まりの開催、国境を越えてつながり続けるための方法など、さまざまな協働の可能性について議論が始まっています。こうした取り組みの中で重要な役割を果たすのがデジタル保存です。現在、記録映像や資料をThe Feminist Instituteにアーカイブする計画が進められており、このシンポジウムをより広い国境を超えたフェミニズム実践の歴史の中に位置づけていくことが期待されています。一方で、主催者たちはコミュニティネットワークを過度に制度化しないようにも配慮しています。固定化された組織にするのではなく、新しい取り組みを支えながらも、その方向性を一方的に定めることのない柔軟な形を保つことを目指しているのです。

スカウェナティ Becoming Skywoman (2016年)
She Falls for Agesより マキニマグラフ
このシンポジウムから最も強く感じられたのは、互いの存在が可視化される感覚でした。特に若い参加者やLGBTQIA+と自認する参加者にとって、フェミニズムやクィアの考え方について安心して語り合える場に身を置くこと自体が大きな意味を持っていました。同じような問いを抱える人たちがいることを目の当たりにすることで、たとえアプローチが異なっていても、自分は一人ではないのだという安心感が生まれたのです。
そういった意味では、このコミュニティネットワークは合意を生み出すことを目的としたものではなく、人と人とのつながりを持続させることを大切にするものです。参加者に一つの戦略や思想への同意を求めるのではなく、対話や意見の違い、そして協働がこれからも続いていくための場を提供することを目指しています。
フェミニズムやクィア理論を名乗ることがいまだに難しく感じられる社会的背景の中で、このコミュニティネットワークは別の道を示しています。より強い主張を掲げることではなく、共に集う場をつくること。そして、決定的な答えを提示することではなく、対話を続けていくことです。言語や文化、経験を越えて丁寧に翻訳を重ねていくその営みを通して、これまで見えにくかったコミュニティの存在を、少しずつ可視化していくのです。

弥生の肖像画 フォン・H・ブイ作