今日、米国と日本の両国は、移民・難民政策という複雑な課題に直面し、それぞれが受ける圧力の中で、大きく異なる答えを出そうとしています。長きにわたり「移民の国」としてのアイデンティティを築いてきた米国は、難民の受け入れを急激に縮小し、移民取り締まりを強化しました。これにより、単なる政策論争を超え、憲法上の原則や国家のアイデンティティに関わる国内論争が引き起こされています。一方、歴史的に移民に対して慎重な姿勢をとってきた日本は、政治的な抵抗が強まり、世論の不安が広がる中でも、難民や外国人労働者の受け入れ経路を緩やかに拡大しています。この両国の軌跡の隔たりは、極めて顕著であり、示唆に富むものです。
本フォーラムは、米日財団のコミュニティの学者、実務家、そして支援活動家を招き、両国の移民・難民政策における人道的なコストや構造的な要因を検証するとともに、それぞれの社会の選択がその価値観や未来について何を物語っているのかを考察します。
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米国等国際社会からの強い要請に基づいて、日本の近代的な難民受け入れの始まりは、1978年からの「インドシナ難民」の受け入れ。その後さほど間を置かず、1981年難民条約に加入し、難民認定手続きを開始した。しかし、その後難民認定の数は低迷を続け、2025年は難民認定が183人、その他に補完的保護認定が391人に留まっている。 その後2010年に、第三国定住受け入れを開始。タイに逃れているミャンマー難民を年間30人受け入れることになった。諸外国と比べ少なすぎるとの批判もあったが、「小さく生んで大きく育てる」方針でスタート。その後年間60人まで増えたが、2025年末現在、実際に定員を満たすことはなかった。 そうした中、シリア危機への対応として、日本政府はシリア難民の留学生としての受け入れを決め、2017年から5年間で150人ほどの受け入れを決定した。一方、市民社会での取り組みも開始され、2016年NPO法人難民支援協会は、トルコに滞在するシリア難民を留学生としての受け入れ事業を開始、2021年にはパスウェイズ・ジャパンが独立し、2025年度までに200人以上の受け入れを実現した。さらに、高等教育では拾いきれない人々に対して、企業・地域社会(自治体含む)ともウィンウィンとなれる、就労を通じた受け入れのために、2025年6月にはMobility for Humanityが設立された。この受け入れは他の分野よりも人数が増やせる余地が大きいと考えており、日本型モデルの構築が他のアジア諸国にも援用、普及できる取り組みとして期待できる。 これらの従来よりも多くのステークホルダーを巻き込んだ新たな受け入れは、国連から正式にcomplementary pathwaysと名付けられている。 |
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日本は移民を受け入れてこなかった国と表現されることが多いが、実際には2025年末時点で約412万人を超える外国人が暮らしており、地域社会を支えている。日本で生まれ育った移民・難民背景の子どもたちも増え、その背景も多様化している。 そんな中、2025年12月に政府が「社会包摂プログラム(仮称)」の創設に向けた検討に入ったと報道があり、日本が移民とどう向き合うのか岐路に立っている。 私は多様な国籍・背景を持つ子どもたちへの日本語・学習支援の教室、大学・専門学校への進学を支援する奨学金事業を通じて、日本で活躍したい、貢献したいと努力する若者たちを見てきた。「移民」「外国人」と分断をしていくのではなく、多様な人が日本を支えているのだと認識をアップデートする必要がある。 そして、社会を支える「人材」として、日本社会が投資をしていけるかどうかが、未来を左右する鍵になるのではないのだろうか。 |
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日本でも、移民や外国人受け入れの議論は、労働力不足への短期的な対応として語られることが少なくない。一方で、教育現場では、すでに「多文化化した社会」が日常になっている。今の子どもたちが見ている教室の風景は、多くの大人たちが子ども時代に見ていたものとは、確実に変わり始めている。 学期途中に、日本語が全く分からない児童生徒が複数人転入してくることもある。学校は、その校区に暮らし公教育を望む子どもたちを受け入れるが、現場では急な受け入れに対応するための人員や予算、支援体制の確保に追われる。ようやく加配教員を配置した頃には転入が止まることもあり、突然の流入という側面では、他の支援を必要とする子どもたちへの対応とも少し異なる難しさがある。制度設計の難しさを実感する一方で、地域のNPOや地域住民の支えが、大きな力になっている場面も多くある。 一方で、最近の学校現場では、日本語指導だけでなく、母語やルーツの文化を大切にしようとする実践も少しずつ広がっている。「多文化共生」は理念だけで成り立つものではなく、相当な準備や設計、継続的な投資が必要だ。たとえ労働力の観点から外国人受け入れが進められたとしても、その政策の揺れの中で、日本で育つ子どもたちは存在し続ける。だからこそ、負担として捉えるのではなく、次世代への投資として向き合う視点が必要だと感じている。 同時に、外国ルーツの友人がいることが当たり前の環境で育つ今の日本の子どもたちは、親世代とは異なる景色を見ている。違いのある人たちと共に社会をつくる力を、私たちは育めるのか。移民政策だけでなく、社会そのものの成熟が問われているように感じる。 |
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日本における移民の経験は、しばしば「労働力」として語られる。他方で現場では、「日本人と友達になれない」という言葉に象徴されるように、社会との接点を持てない孤立が見られる。仕事があることと、社会に参加していると感じられることの間には、大きな隔たりがある。 移民は人手不足を補う存在として、あるいは高度なスキルを評価されて「人材」として受け入れられている。しかし、経済的に「活用」されることと、長期的に社会の一員として「共に価値を生む」ことは本来異なるはずだ。 技能実習の時代から育成就労に移行する現在に至るまで、日本は他国でよく見られる「ジョブ型」ではなく「メンバーシップ型」の雇用形態のため、ポテンシャルを含めた多様な外国人労働者を受け入れながら、多くのことを学んできた。この経験を活かして、日本は欧米とは異なる形で社会のあり方を構想しうるのではないか。 では、その可能性はどのように実現されるのか。制度だけでなく、日常の関係性の中で形づくられる側面も大きい。 こうした状況を踏まえ、日本は移民をどのような存在として社会に位置づけていくのか。意図的に設計するのか、それとも曖昧なまま受け入れ続けるのかが、いま問われている。 |
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日本国際基督教大学財団では、日本語教育を高等教育への進学、そして最終的には就労へとつなげる、教育を軸とした難民の受け入れパスウェイの構築に取り組んできた。2017年以来、パスウェイズ・ジャパンや日本語学校、大学の枠組みと連携し、アフガニスタン、シリア、ウクライナから235人の難民背景を持つ学生の渡日を支援し、彼らが日本で学び、新たな生活を築く一助となってきた。 これらのパスウェイの核心は、三者すべてに利益をもたらす「ウィン・ウィン・ウィン」の関係にある。難民には安全と機会を提供し、日本が直面する労働力や人口動態の課題に対処し、地域社会を豊かにして視野を広げる有意義な交流の場を生み出す。この取り組みは、緊張が高まりつつある現況の中で展開されている。紛争や戦争により世界の強制移動者数は記録的な水準に達し、1億2,000万人以上の人々が故郷を追われた。同時に、トランプ政権下のアメリカでは難民の受け入れが実質的に崩壊し、移民政策が大幅に厳格化された。一方、日本は従来難民や移民に対して開かれた国とは見なされてこなかったが、実際には既存の法律を通じて、人々が学び、訓練を受け、働き、長期的な未来を築くための実行可能なパスウェイを提供している。実際、私の生きている間に日本がアメリカよりも難民や移民に対して開かれた国になるとは夢にも思わなかったが、それこそがますます現実味を帯びてきている状況であり、社会を強化しながら機会を拡大する、実用的で価値観に基づいたパスウェイを構築し続けることの重要性を浮き彫りにしている。 |
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アメリカ合衆国は、庇護とより良い生活を求める人々によって築き上げられた国である。この不朽の遺産は、迫害や戦争から逃れてくる人々にとっての希望の灯台として立つ、私たちの「追放者の母」たる自由の女神像によって象徴されている。移民は私たちの国家の基盤であり、経済を活性化させ、文化の多様性を豊かなものにしてきた。 1975年のラオス、カンボジア、ベトナムにおける大惨事の後、数百万人もの人々が逃れ、アメリカの歴史上最大規模の難民定住受け入れへとつながった。それ以来、私たちは戦争や極限の苦難によって引き裂かれた国々から逃れてくる人々を庇護し続けてきた。 トランプ大統領の第2期政権下にある今日、私たちは厳格な庇護の制限、移民受け入れの削減、そして大量強制送還を特徴とする時代に直面している。恐怖に怯える庇護希望者を追い払うこと、あるいは強制送還によって家族を引き裂くことは、重大な道徳的敗北である。特に、彼らにとってアメリカがこれまで知っている唯一の故郷である場合はなおさらである。 アメリカが建国250周年を迎える今、私たちの成功の真の基盤として敬意を表さなければならないのは移民だ。この高まる敵意の中で、全米各地のアメリカ人がお互いを守るために立ち上がっている。東南アジア人強制送還救済法(Southeast Asian Deportation Relief Act)のような極めて重要な法案を支持していくことで、私たちは家族の絆を守り、強制移動と悲劇の残酷な連鎖を永久に終わらせることができる。 |
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過去10年間にわたり、アメリカの移民論争は、米国・メキシコ国境を越える人々の姿によって定義されてきた。そして、それが問題であると同時に解決策でもあるかのように扱われてきた。国境をより厳重に封鎖し、より多額の資金を投入すれば、秩序は保たれるという考え方である。しかし、このような枠組みは政策を後手に回らせ、論争の焦点を誤った境界線へと狭めてしまう。 移民問題は本質的に治安上の問題ではなく、取り締まりへの支出だけでは解決できない、より深い構造的要因の兆候である。国連難民高等弁務官事務所によると、米州大陸には世界の強制移動者数の19%が暮らしている。これは国境管理の問題ではなく、外交政策による対応を必要とする地政学的な問題である。 持続可能な解決策を講じるには、人々が国境に到達する前に根本的な原因に対処する地域的な協力が必要である。つまり、アメリカの外交政策を米州全域の経済開発と政治的安定へと方向転換すること、アメリカの労働力不足に結びついた外国人労働者プログラムなどの合法的な経路を拡大(庇護制度への圧力を緩和)すること、そして現在330万件の未処理案件を抱える移民裁判所を近代化することを意味する。 現在、移民問題はより広範な課題、すなわちすべての人に影響を与える憲法上の原則の試練の中心にある。2026年5月1日現在、6万人以上の人々が拘留されており、その73%には犯罪歴がない。覆面をした捜査官が司法の令状なしに住宅に立ち入っている。難民や一時保護状態(TPS)の保持者は法的地位を取り消され、数千人が新たに不法滞在状態となり、脆弱な立場に置かれている。法的永住権を持つ人々でさえ、その政治的見解を理由に監視の目にさらされている。 これらは単なる移民政策ではなく、先例である。グリーンカードや学生ビザの発給が政治的忠誠を条件とされるとき、もはや誰が国境を越えられるかという問題ではなく、誰が異議を唱えることができるかという問題へと変質する。 論争はもはや、単なる移民政策の枠に留まらない。それは根本的に「アメリカ人であるとはどういう意味か」という問いそのものなのだ。 |
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移民とは双方向の特権であり、権利ではない。 私にとって、アメリカへの移住は深い特権であった。アメリカ人になることは、人生における最大の栄誉の一つである。紛争地域で育った私にとって、独立宣言にある「生命、自由、および幸福の追求」という言葉は希望を与え、この地で自分の居場所を勝ち取るための原動力となった。何百万もの人々がこの機会を望みながらも得られずにいる。私はそれを当然のこととは考えていない。私の物語は、自ら進んでアメリカ人になることを選択し、そこに生まれながらの権利などないことを理解した上で、それを手に入れるために懸命に努力する多くの移民の姿と重なる。 一方で、人々が移住を希望する国々の側もまた、特権的な立場にある。米国は国外からの移住者の最大の目的地であり、それは人間資本を惹きつける国力の証である。この特権は、しばしば誤解されている。 このダイナミクスを認識せずに移民について論じることは、常識的な政策を構築する機会を逃すことになる。個人は入国するという特権を勝ち取らなければならず、国家は誰を受け入れるかを選択するという特権を有している。人々には、単に国境を越えて他国の恩恵を享受する生まれながらの権利があるわけではない。同様に、国家もまた、最良の人材を惹きつけることなしには競争力を維持することはできない。 求められる国家とは、大切な我が家のようなものである。その中心にあるもの、そのニーズ、そして守りたい夢を知っているからこそ、誰を迎え入れるかを非常に慎重に選択する。ある者はそのスキルを共有するために限られた期間だけ訪れ、ある者は温かく迎え入れる訪問者として訪れ、そして少数の者は家族として永遠に抱擁される。明確な枠組みに導かれたその主権的な選択こそが、家を強く、安全で、そして希望に満ちたものに維持するのである。 |
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私は、映画制作に携わる移民女性の小さなグループに対し、どのように「有能さの認知」に対処しているかを尋ねた。観客との信頼関係を築くためには、相手から「親切さ」と「有能さ」の両方を備えていると見なされる必要があり、コミュニケーション・コンサルタントである私は、これらを確立するための戦略を常に模索している。 ナショナルジオグラフィックのエクスプローラーとして、私たちの中に実績が不足している者は1人もいないが、私たち3人はみな小柄で、いわゆる「外国」な外見(イラン、インド、韓国出身)をしており、わずかな訛りもある。研究によると、これらの特徴は有能さの認知に否定的な影響を与える可能性があり、私たちは全員、自らの専門性を証明するためにより一層努力しなければならなかった。 しかし、この課題からは価値あるものも生まれる。私たちは、実績を並べ立てるような方法ではなく、むしろ他者と関わるプロセスを通じて有能さを確立する、異なるアプローチを見出した。コミュニティに入り込む際、私たちは威圧感を与えにくく、結果として、より心から打ち解けて接してもらうことができた。私たちは、自分たちの活動がもたらす影響について語り、問いを投げかけ、解決策を提案し、知識が自然と表に出るようにすることで専門性を示した。これらは、人々に永続的な印象を残す戦略である。 |
寄稿者