助成先 | The Film Collaborative (2025年1月受賞)
プロジェクト | アトミック・エコーズ
「これは日本だけの問題ではなく、世界全体の問題だったということを知ってほしいんです」。『Atomic Echoes: Untold Stories from WWII(アトミック・エコーズ:語られざる第二次世界大戦の物語)』のプロデューサーであり、米日リーダーシップ・プログラム(USJLP)フェロー(2019年・2022年)であるカリン・タナベ氏は、シンプルな言葉で、ひとつのドキュメンタリーをはるかに超える想いを語ります。本作は、2025年8月にPBSで放送予定のドキュメンタリー映画で、アメリカの原爆退役軍人と日本の被爆者、それぞれの人生がどのように核戦争によって変えられたかを描いています。これは単なる歴史の教材ではありません。文化と世代、そして長く続いた沈黙の間に橋をかける試みです。そしてこのプロジェクトの核心には、自分自身の物語を記憶するだけでなく、他者の声に耳を傾けることでこそ癒やしが始まるという信念があります。
ポスターアート提供:Blue Chalk Media
個人の記憶から共有される使命へ
この映画の共同制作者たちは、それぞれの個人的な背景と、伝えることへの強い責任感から本プロジェクトにたどり着きました。小説家・ジャーナリストとして長年、語られにくい声を届けてきたカリン・タナベ氏には、日本との深い縁があります。「父は1943年に横浜で生まれました。そして、私の高祖叔父は広島大学の初代学長だったんです」と彼女は語ります。共に制作に携わった小説家・詩人のヴィクトリア・ケリー氏は、アメリカの原爆退役軍人の孫にあたります。彼女の祖父は衛生兵として、原爆投下から45日後に長崎に到着しました。
こうした背景を持つ2人が、制作会社Blue Chalk Mediaと協力して生み出したのが『アトミック・エコーズ』でした。本作は、放射線被曝や病気、政府による沈黙の強制といった経験によって、長く周縁に追いやられてきたアメリカの原爆退役軍人の姿に焦点を当てています。太平洋の向こう側には、戦後日本に駐留していたアメリカ兵たち。こちら側には、広島・長崎の被爆者、すなわち長年にわたるトラウマを抱えながら生きてきた日本の生存者たち。『アトミック・エコーズ』は、両者の語りを交差させ、静かで力強い対話の場を生み出します。
太平洋を越えてつながる記憶
『アトミック・エコーズ』の制作にあたって、プロデューサーたちはある既存の枠組みに挑戦することを目指しました。原子力の破壊は日本の体験であり、その責任はアメリカにある、という通説です。「これは日本だけの問題ではなく、世界全体の問題だったことを理解してほしい」と、タナベ氏は語ります。この視点の転換こそが、本作のインパクトの核心です。
インタビューを重ねるうちに、物語は国を隔てるものではなく、人間としての共通の犠牲を映し出していることが明らかになっていきました。アメリカの退役軍人たちは、がんの診断、失われた戦友、自らの体験を語ることを許されなかった沈黙について語ります(写真は退役軍人アーチー・モツィゲンバ氏。撮影:Chris Janjic/Blue Chalk Media)。一方、日本の被爆者たちは、喪失、度重なる体調不良、そして平和運動に捧げた人生を振り返ります。制作者たちにとって、こうした「対」の証言を並べて聞くことは、作品の感情的な軸を大きく揺るがすものでした。そこにあったのは対立ではなく、共鳴──国境を越えて交差する記憶と意味の、予想外の接点でした。
扉を開いた一つの助成金
しかし、このプロジェクトの道のりは決して平坦ではありませんでした。「予算は50万ドル(約7,500万円)でした。多くのドキュメンタリー映画が資金調達に数年を要する中で、私たちには1年もなかったんです。資金集めと撮影を同時に進めなければなりませんでした。最終的にその大部分を自分で集められたことを、とても誇りに思っています」とタナベ氏は語ります。
プロジェクト初期には、助成金申請の却下、長時間の会議、夜中までの申請書作成が続きました。予告編の編集も、撮影も、PBSでの放送決定もまだ先のことだった時期に、ひとつの重要な出来事がありました。それが、米日財団からの小さくも意義深い助成金でした。「ジェイク(米日財団代表理事)が素晴らしい推薦状を書いてくれたんです。他の支援者にも、この映画への寄付を呼びかける内容でした。」
「米日財団の助成金は、私たちが最初に得た資金でした」とタナベ氏は振り返ります。「精神的にも大きな支えになり、プロジェクトが本当に可能なのだと感じることができました。」
その後、アンリ・アンド・トモエ・タカハシ慈善財団などの支援が続き、資金調達の目標は現実的なものになっていきました。同時に、核をめぐる問題に高い機微性が求められる日本において、米日財団の名前は、取材対象や関係機関との信頼構築に大きな助けとなりました。「この助成金が、プロとしての信頼感や誠実さを一層引き立ててくれました。おかげで、多くの扉がより早く開かれたんです」とタナベ氏は語ります。
朝長万左男氏。撮影:Chris Janjic/Blue Chalk Media
困難な道のり
しかし、他にも多くの困難が立ちはだかりました。アメリカでは、戦後に広島・長崎に派遣された67,000人の退役軍人のうち、現在存命しているのはわずか十数人しかいません。タナベ氏とケリー氏は、その半数にインタビューすることを目指していましたが、撮影を行った年に健康状態が悪化し、参加が叶わなかった方も複数いました。このドキュメンタリーは、まさに時間との闘いだったのです。
一方の日本では、長崎への渡航資金の目処が立ったのは出発のわずか2週間前、PBSへの納品期限の3か月前という切迫したスケジュールの中で、関係者との調整は「たくさんの謝罪を添えて」ギリギリのタイミングで行わたと、タナベ氏は語ります。
核の歴史について語ること、とりわけ国境を越えた文脈で語ることは、過去の複雑な物語や国家としての誇りとも向き合う必要があるということです。制作チームは、共感と文化的な感受性を軸にしたアプローチをとることで、その溝を越えて関係性を築いていきました。「責任を追及したり歴史を分析したりすることではなく、想像を超える体験をした人々の存在に敬意を払い、同じ過ちを二度と繰り返さないために伝える。それが私たちの目的なのです。」とタナベ氏は強調します。
静寂からスクリーンへ
いま、『アトミック・エコーズ』はついに一般公開を迎えようとしています。本作は8月1日にアメリカの公共放送PBSで全国放映され、10月1日までPBSのアプリでも視聴が可能です。しかし、制作チームはそれを「終着点」とは見ていません。タナベ氏は、この映画を「平和のためのツール」と位置づけています。教室や地域センター、異文化間の対話の場などで活用されていくことを願っているのです。今後の上映会としては、ワシントンD.C.のカーネギー国際平和財団や、ロサンゼルスの全米日系人博物館などが予定されています。さらに日本国内の中学・高校・大学での上映ツアーも準備中で、まさに米日財団が重視するアウトリーチの形でもあります。「若い世代にこそ語りかけたいです。彼らが、これらの物語を次の世代に引き継いでくれるのですから」とタナベ氏は話します。現在、制作チームは次のフェーズに向けて、パネルディスカッションの企画、教育用教材の開発、映画の翻訳などを進めています。そして、ここまでたどり着けたことへの感謝を忘れていません。(写真はカリン・タナベ氏とヴィクトリア・ケリー氏。撮影:Beatrice Becette/Blue Chalk Media)
色々な意味で、『アトミック・エコーズ』は単なるドキュメンタリーではありません。日米の相互理解を物語の力で深めていく、一つのモデルでもあります。外交は必ずしも政府の会議室だけで行われるものではなく、編集室や大学の講堂、そして、歴史の証言者たちが自らの物語を尊厳と共に見つめる、その静かな瞬間にも生まれるのです。
米日財団の助成金が支援したのは、単なる映画制作ではありません。それは、関係性であり、対話であり、そして未来へ続くレガシーなのです。「私たちは、退役軍人と被爆者に敬意を表し、核戦争を防ぐことの重要性を語りたいと思っています。そして、人々が『互いを見る』ことを手助けしたいのです。」とタナベ氏は話します。完成した映画というよりも、私たちが共に推し進めていく「会話」──それこそが、この助成金が可能にしたことなのです。