鳴り響き続ける鐘
平和、ピーナッツ、そして友情から
生まれた姉妹都市交流

助成先 | Sumter County Georgia School District (2024年1月受賞)
プロジェクト | サムター郡と三次市交流


アメリカ・アトランタのカーター・センター。その静かな中庭に、新しく建てられた木製の櫓が佇み、そこに一つの鐘が吊るされています。目を凝らさなければ見過ごしてしまいそうなこの鐘は、実は数百年の歴史をもつ日本の寺院の鐘であり、「平和の鐘(Peace Bell)」と呼ばれています。そしてこの控えめな鐘こそが、日米間の文化交流の中でも、最も長く、そして静かに力強く続いてきたプログラムの一つを生み出すきっかけとなりました。

sumter-county-georgia-school-district-1鐘の物語は1820年、広島県甲奴(こうぬ)町の正願寺で鋳造されたことに始まります。第二次世界大戦中には金属供出の対象となりましたが、奇跡的に破壊を免れ、やがてイギリス、フロリダを経て、1985年、人道的な活動への感謝としてジミー・カーター元米大統領に贈られることとなりました。

その鐘がかつて「戦利品」として扱われていたと知ったカーター氏は、鐘を元の場所──正願寺へ返還したいと望みました。けれども甲奴町の人々は、鐘を返すのではなく、「平和の象徴」としてそのままカーター氏のもとに残すことを選びました。この想いのやりとりから友情が芽生え、1990年と1994年にはカーター氏が日本を訪問。こうして姉妹都市関係が正式に結ばれ、すぐに日米の高校生たちによる交流プログラムが始まりました。観光客としてではなく、「家族の一員」として互いの家に滞在し、尊敬と共感に基づく関係を築く──この平和の鐘がアトランタに届いた時に描かれた平和への願いは、今も生き続けており、この交流は来年で40年目を迎えます。そしてその歩みは、今もなお多くの若者たちの人生を変え続けています。

「単なる日本旅行ではなかった」

2015年、この交流プログラムの長年のコーディネーターが退任した際、その後を引き継いだのがゲイラ・ブラジル(Gayla Braziel)氏でした。彼女は、「この役割は情熱によって導かれるものだとわかっていました。だからこそ、自分たちの生徒たち、そして甲奴町・三次市の友人たちのために、このプログラムを続けたいと思ったのです」と語ります。

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sumter-county-georgia-school-district-2「最初はこのプログラムについてあまり知らなかったので、自分に務まるのか不安もありました」とブラジル氏は率直に振り返ります。「でも実際に参加してみると、それが私自身にとっても、生徒たちにとっても人生を変える体験になることがわかりました。単なる日本旅行ではなかったんです」と続きます。

プログラムの1週間には、ホームステイ、学校訪問、書道や武道のワークショップ、そして広島平和記念公園への訪問(写真参照)など、さまざまな交流が含まれています。「言葉では表現できない関係性が生まれます。人とのつながりや歴史、そして平和に対する視点が大きく変わる体験です」とブラジル氏は語ります。

小さな町から広がる大きなビジョン

sumter-county-georgia-school-district-3アメリカス(Americus)は、ジョージア州南西部のサムター郡にある小さな町で、同郡の学区は連邦指定のタイトルI校区にあたります。全ての生徒が、低所得世帯支援の一環として、無料で朝食・昼食・軽食を提供されています。国際旅行は、多くの生徒にとって手の届かない夢です。写真では、名刺交換をする生徒たちの姿が見られます。

「私たちにとって一番の課題は資金です。生徒たちの多くは、地域の外に出る経験がほとんどありません。飛行機に乗って日本でホームステイをし、異文化を学ぶ──そんな機会は、外部からの支援なしには得られないのです」とブラジル氏は語ります。

ここが米日財団の出番でした。「米日財団の助成金によって、私たちはその経済的障壁を乗り越えることができます。この助成は、現実の世界での経験を生徒に提供し、自信を育み、地域の小さな世界を超えて視野を広げ、そして生涯続く友情を育む機会になるのです」とブラジル氏は説明します。

16歳のジェイリン・ラックマン(Jaylynne Ruckman)さんにとっても、この体験は忘れられないものとなりました。彼女の母親はこう話します。「本当に素晴らしい時間を過ごしたようで、あまり私たちに連絡してくる暇もないほど楽しんでいたみたいです。ホストファミリーは実の娘のように接してくれました。新しい友達もできて、特にお寿司が大好きになったそうです。日本の代表団がアメリカスを訪問した際には、ホストシスターと再会も果たしました。」

平和の記憶を受け継ぐ交流

生徒同士の交流はこのプログラムの中心であり続けていますが、ブラジル氏のリーダーシップによって、活動の幅は思いがけない方向へと広がりました。

たとえば、ジョージア州産のピーナッツを日本へ輸出するために地元のパートナーと協力し、甲奴町の生徒たちが「カーター・クッキー」を焼いて渡航費を募る取り組みを支援しました。さらに、アトランタのカーター・センターに設置された「平和の鐘」塔の建設にも携わりました。30万ドル(約4,400万円)をかけたこのプロジェクトは、ジョージア日米協会などの支援を受けて地域主導で実施されたものです。鐘楼は日本の大工たちが伝統技法を用いて建て、カーター元大統領の誕生日には平和の象徴として鐘の音が響き渡ります。

新型コロナウイルスによって国際渡航が停止されたときも、ブラジル氏は交流を絶やすことなく、Zoomでのバーチャル交流を継続しました。「この関係がいかに大切かが分かります。国境が閉ざされていた時ですら、生徒と地域の熱意によって交流は続いたのです。」と語ります。

現在では、生徒に加えて地方自治体、市民団体、そして両国の家族もこのプログラムに参加しています。日本側では、三世代にわたりアメリカの生徒を受け入れたホストファミリーもいます。アメリカスでは、市長が歓迎ディナーを開き、地域住民がホームステイ先を提供し、小さな企業がサービスや割引を通じて支援します。「まさに地域全体で取り組んでいるんです。みんなが自分の役割を果たしています」とブラジル氏は話します。

受け継ぐバトン

2024年に逝去したカーター元大統領は、今もこの交流事業の精神的支柱として息づいています。「アトランタの鐘は、私たち一人ひとりが人類の平和のために努力し続けるよう促す永遠の記憶となるでしょう」という彼の言葉は、甲奴町にある記念碑に刻まれています。そして彼の遺志は、毎年この交流に関わる生徒や市民たちの中で、文字通りにも比喩的にも生き続けています。

ブラジル氏にとって、この取り組みはやりがいのある一方で、資金面・時間面・精神面でも大きな負担を伴います。「時には、別の誰かに引き継いだほうがよいのではと思う瞬間もあります」と彼女は打ち明けます。「でも、生徒たちの顔に表れる喜び、育まれる生涯の友情、私たちの地域同士の理解の深まりを思うと、とても手放せません。」米日財団も、その思いを共有しています。

2025年6月の訪問を無事終え、次は10月に日本からの代表団を迎える予定です。生徒たちはすでにパスポートと航空券を手にしており、準備は着々と進んでいます。

そしてアトランタでは、またあの平和の鐘が静かに鳴り響くことでしょう。

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