『Fukushima Now』 記憶が宿る場所
助成先 | アリフ・カーン(2021年4月受賞)
2019年、アリフ・カーン氏は東京から北へ向かうバスに乗り込みました。これが彼にとって初めての日本訪問でした。道中、バスは東日本大震災によって甚大な被害を受けた東北地方の沿岸部の町々を縫うように進みました。シャッターの下りたままの商店、荒れ果てた空き地、原発事故後の避難当時のまま時が止まったような建物の脇を通り過ぎながら、カーン氏の中である問いが浮かび上がりました。この土地に、そしてここに暮らしていた人々に何が起きたのか。そして、このような状況において記憶はどのように機能するのか、という問いです。
このバスでの体験が、後にヴェネチア国際映画祭第81回で初上映され、アジア、ヨーロッパ、北米各地の映画祭を巡ることになるVR(仮想現実)ドキュメンタリー『Fukushima Now』の種となりました。カーン氏は現在、日本でのプレミア上映を計画しています。
ビジョンの構築
カーン氏はこのプロジェクトに、異色の経歴を携えて取り組みました。ケンブリッジ大学でクリエイティブ・ライティングの修士号を取得した後、南カリフォルニア大学映画芸術学部で芸術学修士を取得。本人の言葉を借りれば、「脚本の書き方を学ぶことから、それを現実にする方法を学ぶこと」への移行だったといいます。南カリフォルニア大学卒業後はFacebook傘下のエミー賞受賞VRチーム、Oculus Story Studioに参加し、その後Airbnb Creative Studioに移り、没入型の旅行コンテンツを制作。さらに、プロデューサーのジョン・ファヴロー氏が率いるVRプロジェクトでWevrに在籍しました。福島のアイデアが形になり始めた頃には、カーン氏はVRが従来の映画にはできない、観客をある場所に、完全に、そして身体的に立たせることを学ぶことに、すでに10年近くを費やしていました。
新型コロナウイルスの感染拡大によるロックダウン中に、ようやく本格的にコンセプトを練る時間を得たカーン氏の頭を離れなかったのは、その力が人間の物語に資するかどうかという問いでした。それはゲームでもブランドコンテンツでもなく、記憶と喪失、そして故郷の意味についての何かであるべきでした。
プロジェクトを可能にした助成金
カーン氏はフルブライト奨学金のクリエイティブ・アーツ・フェローシップに応募すると同時に、まだ米国にいる段階、つまり福島の地に映像作家として足を踏み入れる前に、米日財団にアプローチしました。米日財団の支援は制作開始前の早い段階で決まり、プロジェクトの財政的な基盤として機能しました。地域への調査旅行、ロケーションのスキャンに使用した高性能フォトグラメトリー機材、Unityでのポストプロダクション開発、そして最終的な体験に感情的な質感を与えたサウンドデザインとオリジナルスコアまで、すべてを支えたのです。「米日財団からの資金があったからこそ、私たちはこのプロジェクト全体を作り上げることができました」とカーン氏は説明します。
2022年、カーン氏はフルブライトのフェローとして、米日財団の支援を得た状態で来日しました。まず何をすべきか、彼には明確な考えがありました。それは意図的に、「何もしない」に近いことでした。カメラも、インタビューも持たず、ただ人々と出会い、学ぶための時間を確保することだけでした。
「よそ者」という視点
カーン氏が福島を訪れた頃には、この地はすでに数多く取材され尽くしていました。10年以上にわたり、ジャーナリスト、写真家、映像作家たちがこの地域を訪れており、地元のコミュニティは、物語だけを持ち去っていくよそ者の存在に警戒感を抱くようになっていました。カーン氏はこのことを理解しており、最初の6か月間は制作の意図を一切持たず、ただ人々と知り合うことだけに時間を費やすという決断をしました。
その入り口となったのが、地元に深い縁を持つ2人の写真家、岩波友紀氏と高杉記子氏でした。2人の紹介を通じて、カーン氏は農家、僧侶、ジャーナリスト、そして家族たちと出会いました。カーン氏と共に写真に映るムトウ・トミコ氏含め、彼らはやがて『Fukushima Now』の8人の被写体となりました。カーン氏が発見したのは、意外にも、自身の「よそ者」としての視点がむしろ強みになったということでした。先入観を持たずに来たからこそ、「3.11」に近い立場の人々がすでに問わなくなっていた、災害以前の暮らしがどのようなものだったか、子ども時代や記憶、日常の質感についてを尋ねることができたのです。カーン氏によれば、こうした問いが出会った人々の中で何かを解き放ったといいます。「多くの人は東北を2011年以降からしか捉えていないようですが、3月11日より前にも記憶は存在していたのです。」
場所としての記憶
『Fukushima Now』を特徴づける編集上の決断は、個々の記憶と、記憶がどのように機能するかというプロセスの両方を軸にプロジェクトを構成することでした。カーン氏がVRのために捉えた記憶とは、一つの場所です。そこには寸法があり、雰囲気があり、すでに過ぎ去った瞬間からその人が持ち歩いている、特有の光の質があります。
こうした場所を構築するため、カーン氏とテクニカルディレクターのルーベン・フロサリ氏は、フォトグラメトリーと呼ばれる手法を用いました。避難当日のまま残された沿岸部の小学校や、数百年の歴史を持つ神社など、福島の各所で撮影された数千枚の高解像度写真を、ソフトウェアに取り込み、完全に歩き回れる三次元環境として再構築するのです。ヘッドセットを装着した観客は、これらの場所の映像を「見る」のではなく、その内部に「立ち」、その中を「移動」します。その間、記憶を語る人々の声が、3D空間音響として響きます。それぞれの環境の一部は鮮明にレンダリングされている一方、他の部分は抽象化され、輪郭を失っていきます。「私たちの記憶の中には、少し不透明で、はっきりと描かれていないものもあります。それが、私たちが人生を記憶する方法なのです」とカーン氏は語ります。それは、従来のドキュメンタリーにはできなかった、他者の過去の中にあなたを立たせることだと、カーン氏は表現します。
ヴェネチアでのプレミア、そしてその後
『Fukushima Now』は2024年、ヴェネチア国際映画祭第81回で初上映され、高い評価を得ました。その後、台湾の高雄映画祭、オースティンのSXSW、大阪・関西万博、そしてヨーロッパ各地の映画祭を巡回しました。カーン氏にとって最も心に残った瞬間は、映画祭の舞台ではなく、完成した体験を、その記憶が刻まれた当事者たちに見せることができたときでした。失われた場所に、もう一度足を踏み入れることがどのような感覚なのか、彼らは想像もできなかったといいます。これを子どもや孫に伝えられるもの、いずれ薄れていくはずのものを保存する方法、いわば未来の世代のためのタイムカプセルのようなものだと表現する人もいたそうです。「彼らに何かを還元し、彼らがそれを永遠に持ち続けられるものを作ること。それこそが最終的な目標でした。」
カーン氏は現在、東京と大阪を拠点に活動しており、大阪ではユニバーサル・スタジオ・ジャパンのクリエイティブ・エクスペリエンス・ディレクターを務めています。次のプロジェクトは、同じフォトグラメトリー技術を用いて、異なる原子力の影の下で暮らす別のコミュニティを描くもので、すでに初期段階の開発が進んでいます。舞台となるのは、台湾沖に浮かぶ蘭嶼(らんしょ)島に暮らすタオ族です。彼らの先住の地には、40年にわたり核廃棄物が保管されてきました。地理は変わっても、この作品の中心にある問いは変わりません──記憶はどこに宿るのか。記憶はどこで失われるのか。そして、私たちはもはや存在しない場所に、何を負っているのか。
『Fukushima Now』の予告編は、以下でご覧いただけます。