2014年度 Elgin Heinz 優秀教員賞 受賞者


Mr. Tomokazu Morikawa

Mr. Tomokazu Morikawa
日本語部門
カリフォルニア州 サンフランシスコ ジョージ・ワシントン高校
日本語・日本文化教諭

森川知計氏は熱心で情熱を持った日本語教育者です。氏は、日本語で日本文化を教えることを促進するというテーマと学際的なアプローチでカリキュラム全般を構築します。
彼は生徒が参加する遠征プログラムを発展させ、後に大阪にある公立高校と姉妹校の提携を成立させました。現在は更に、宮崎、栃木、仙台にある高校と姉妹校の提携を結び、福井県との共同プロジェクトも手がけています。

プロジェクトユニットを基盤とした彼の教育法により、サンフランシスコ統合学区内の生徒に革新的な方法で外国語を教えることができます。例えば、森川氏は日本からの観光客の為に、日本の旅行会社とサンフランシスコの観光案内所と共同で小旅行を計画したり、日本語ガイドブックを製作しています。彼の生徒たちは夏の間、日本人旅行者の為にウオーキングツアーをアレンジしながら、日本文化とアメリカ文化の価値観の違いや観点の違いに気づくことが出来ます。

1990年代の初めから、彼は夏になると、生徒たちを日本に連れて行くようになりました。姉妹学校を訪問し、そこで多くのプロジェクトやアクティビティを一緒に行いました。2011年に起きた東日本大震災以降は、東北に訪問するようになりました。2012年の夏には北茨城を訪問し、ボランティアで海をきれいにしたり、地域のアクティビティに参加したりしました。宮城の姉妹校を訪れた際には、彼の生徒達が募ったおよそ13,000ドルの寄付金を学校に提供しました。森川氏の生徒たちは東北の高校生たちをサポートするために、ビデオメッセージを作ったり、フェイスブックを作ったり、サンフランシスコと東北で共同のプロジェクトを立ち上げたりと、積極的に様々なプロジェクトに取り組んでいます。2014年の夏には再び宮城を訪れ、ギャップを埋めていくコミュニティーを促進させる予定です。

約20年前、森川氏はサンフランシスコ統合学区内の学業成績の芳しくない学校にて教師としての道を歩み始めました。当時、そこで革新的で成果の高いカリキュラムを作りあげました。彼の教師としての挑戦は、110分という時間単位の中で、日本語と日本文化を学際的に学ぶことをプログラム構築することでした。彼は日本語を母国語とし、日本とアメリカで教育を受けました。モリカワ氏は、彼の生徒達が取り組む、地域への奉仕活動コミュニティーが評価され、アジアンウイークファンデーションより年間優秀ティーチャー賞を受賞しました。彼はカリフォルニア州日本語教師会(CAJLT)副会長を務めており、北カリフォルニア日本語教師会(NCJTA)と北アメリカ日本アメリカ協会(JAANC)の理事も務めています。彼はサンフランシスコ統合学区内、カレッジ・ボード、アジアンアートミュージアムのためのカリキュラム、レッスンユニット、プロジェクトを発展させてきました。数多くのワークショップやプレゼンテーションも地域的に行っています。現在日本語と日本文化のAP教師オンラインコミュニティの議長でもあります。



Ms. Lori Snyder

Ms. Lori Snyder
人文部門
歴史教師
ロングメドウ高校 ロングメドウ マサチューセッツ州

Ms. Lori A. Snyder氏はマサチューセッツ州、ロングメドウのロングメドウ高校の歴史の教師で、1996年からアジア研究、世界史、アメリカ史を教えています。また、彼女は地域の社会研究コーディネーター、Department Chair、並びに東アジアクラブアドバイザーも務めています。

Ms. Snyder氏の日本への学問的関心はハミルトン大学在学中に始まりました。ミリアムシルバーバーグ教授とトーマスA.ウイルソン教授から東アジアの歴史を学びました。彼女が最も関心を寄せたのは、有名な国学者本居宣長の研究でした。Phi Beta Kappaメンバーであり、Edwin B. Lee Award in Asian Historyを受賞し、1992-1994年には三重県でJETプログラムに参加しました。

JETプログラムの経験に大きな影響を受け、アメリカで歴史教師になることや、日米の若者の関係を育成していくことに携わると決心しました。ロングメドウ高校に着任後は、東アジア地域への興味を生徒がシェアできる機会としてEast Asia Clubを設置しました。1997年にPacific Education Conferenceに出席するため高校の生徒たちを北海道に連れて行きました。2003年には中国の揚州にある高校と姉妹校を結び学生交流プログラムを創設、翌2004年に交換留学生たちが初めて揚州に訪れています。2007年の夏、ベロイト大学でダートマス大学の日本語教授、石田まゆみより日本語を学んだことに啓発され、ロングメドウ高校と北海道滝川市との交換留学プログラムを創設しました。2008年以降、日本でさらに3つの学生交流プログラムを導いています。これらのプログラムを支援する為にSnyder氏は、フリーマン財団とロングメドウの教育財団より15,000ドル以上もの助成金を受領しました。

東アジアに関する知識を最新のものとするために、Snyder氏は数多くの全国レベルでの教員講習会に参加しています。例えば、エール大学のPIER、ホーリークロス大学のNEH、グローバルアウトリーチセンター、クラーク大学、Five college Center for East Asian Studies、コロラド大学ボルダー校の東アジア教育プログラムなどです。同僚や地域の人々に多くの教育プログラムや専門性を高めるコースも実施しています。加えて、マサチューセッツ・北海道協会の理事を8年間勤めていて、2015年に25周年を迎える企画に携わっています。

2015年はロングメドウと滝川間の交換留学プログラムが創設されて十周年目の年となります。Snyder氏は助成金によって生徒に奨学金を提供できること、また3名の新しい教員に夏に滝川の高校に訪問できる機会が与えられていることを楽しみにしています。多くの教員が日本での滞在に薫陶を受けることで、彼らが今後も交換留学プログラムが続いていくことに尽力してくれることを願っています。

彼女の教室の後ろの壁には願いを叶えてくれる井戸があり、「井の中の蛙、大海を知らず」ということわざが貼ってあります。この井戸は折り紙で作られた蛙で覆われていて、それはアジア研究クラスに参加する上級生を象徴しています。アジアの研究を通して生徒たちをロングメドウよりももっと大きな世界に目を向けさせることが自分の使命だと彼女は感じています。



Ms. Yasuko Kawabata
ヤスコ・カワバタ
特別表彰
Host Nation Teacher主催国教諭
アメリアエアハート小学校 沖縄 日本

1983年に、私はアメリア・イアハート中等学校で日本文化について教え始めました。そして、カデナ空軍基地(沖縄)に在住しておりました。最初は、アメリカ式の学校のやり方に馴染むのは簡単ではありませんでした。それから31年が過ぎましたが、私が子供達から学んだこと、子供達からもらった笑顔により、その頃の苦労は報われました。

私は、十六名の日本のHost Nation Culture教諭のうちの一人です。私たちの生徒は、3年生から5年生までおります。私は、毎日6コマの授業を4日間、週合計で24クラスと500名の生徒を教える責務があり、各クラスは45分授業です。

本校の日本文化カリキュラムは、内容が豊富です。それは、日本の言語、歴史、地理、手話歌、伝統的な民族芸術、折り紙や墨絵、書道、身振り歌、などの文化、並びに、沖縄や日本の毎日のライフスタイル、週間、お祭りなどについての議論も行います。

日本文化のクラスや、沖縄でのコミュニティー交流の一環として、私は沖縄ホームステイ・プログラムの調整とサポートを担当してきました。日本人及びアメリカ人の子弟達が、沖縄市で、また、米軍基地において、ホームステイを経験することによって、お互いの文化や習慣を経験します。また、毎年クリスマスの時期に私は、日本の子供たちに各米軍基地においてアメリカの家族とともにクリスマス休暇を過ごしてもらうプログラムに、関与していました。逆に、アメリカ人の子供達は、日本の新年の祝賀を経験するために、沖縄市の日本人家族の自宅に招待されます。子供たちは、互いの文化をより良く理解するために、ホストファミリーとともに2泊3日をともに過ごします。この交流プログラムは、創造的で楽しい方法で子供たちの国際的な経験を広げるのに役立ちます。過去十年間、この交換プログラムは、多くの方々によってサポートされ続けてきました。

もう一つの重要な文化交流プログラムは、沖縄市と米国軍基地からの学生によって共催される子供たちのアートワーク展示です。初日に、我々は若いアーティストと彼らの家族のためのレセプションを開きます。この展示会は過去10年間続けられており、日本とアメリカの家族の間での友好交流の素敵な場となっています。私はこのプログラムを沖縄市民と米国軍事基地の人々の間の「パイプ」と読んでおります。

これらに参加したアメリカと沖縄の子供たちには、一生の想い出を持ち続けることでしょう。彼らの幸せな経験が共に一緒に仲良く沖縄に住み、両国民の文化に友好と平和をもたらし続けるように、私は祈ります。子供たちがこれらの経験を、生涯大事にして、素晴らしい記憶に留めて欲しいと、私は望みます。沖縄の市民として、私は、これらのプログラムを推進する役割を持ち続け、それが、沖縄と米軍コミュニティーの間で生涯の友好を進めることを望みます。